裁判にせずとも解決できる。米国で注目される代替紛争解決制度を研究
熊本大学大学院人文社会科学研究部(法)
横塚志乃 准教授
インタビュー担当の健児くんです。よろしくお願いします。
法学部の横塚志乃准教授は、長い間アメリカで教員や研究生活を送った経歴をお持ちです。移民国家で多文化、マイノリティの課題も多いアメリカで得た経験や知見は、私たち日本人に大きな気付きをもたらしてくれるものばかり。興味深い先生のお話を、ぜひ読んでみてください!
横塚先生:紛争といっても、爆弾が飛び交うような規模の大きい争いではなく、例えばご近所トラブルや家族間の争いなど、私たちの日常にも諍いはたくさんあります。解決するためには、弁護士を雇い裁判所という場で内容を聞いてもらって決着をつける、というシステムを思い浮かべると思いますが、アメリカでは今、Alternative Dispute Resolution(ADR:裁判外代替紛争解決制度)という仕組みが注目されています。
この仕組みでは、Mediator(メディエーター:対話仲介者)である中立的な第三者が、対立する両者の間に入りメディエーション(調停)を実施します。
日本にも調停員制度はありますが、メディエーターは、きちんとトレーニングを受けた人たちです。目的は双方のコミュニケーションを円滑にすることであり、当事者を説得したり結論を出したりはしません。争う人は感情的になりがちなので、メディエーターが当事者の言葉をRephrasing(リフレ―ジング:別の言葉で言い換える)して、双方が冷静に相手の視点や考え方を学び、なぜ意見の相違や対立が起こったのかを根本的に理解し、両者が納得できる結論を見つけるお手伝いをします。
私も、アメリカのコロンビア特別地区高等裁判所の、夫婦間や親子間の問題に携わる「ファミリーメディエーション」の一員になっており、依頼があればメディエーターとして仕事を行っています。
DC Superior Courtの前で登録mediatorのIDを写した写真 |
横塚先生:アメリカは人種の分断が大きい国です。警察官ですら偏見があり、黒人というだけで疑いの目で見られたり、黒人の方がより厳しく裁かれたりする状況があります。黒人の方がマイノリティなのに、刑務所の中は黒人の数の方が圧倒的に多い。裁判も、お金がある方が有利となることが多くあります。裁くシステムは誰にとっても平等であるべきなのに、とても偏っている。これはおかしいということで、ADRのような仕組みが提案されています。
コロナ禍では、観光関係や建築現場で働いている有色人種の方がまず解雇され、家賃を払えずに家を追い出された方が多くいました。裁判だったら、家賃を払えなければ、追い出されても仕方ないとなります。これをなんとかできないか。大家さん側からも、借りている側の視点からも着地点を見つけるためにADRが様々な州で取り入れられました。
紛争当事者自身がメディエーターを依頼する場合もあれば、裁判所がメディエーターに依頼してくることもあります。最近のアメリカの裁判官には、「こんな大事な結論を裁判官が出すよりも、当事者同士に話し合ってもらったほうがより良い方法が見つかるのではないか」、と考える人も多くなってきているんです。裁判のようにお金と時間がかからないこともADRの利点です。
横塚先生:個人やNPOがあります。ただ、アメリカでも課題になっているんですが、メディエーターが白人ばかりなんです。ボランティアの場合が多いので、引退した弁護士さんなど、裕福な方たちです。困っているのは有色人種のマイノリティなのに、サービスを提供する側は中流以上の人たち。これは、ボランティアという分野における世界共通の課題でもありますね。
メディエーターは、争っている当事者の多様なバックグラウンドやパワーバランスも加味したうえで、完全に中立の立場で仲裁ができなければいけません。でも私は、完全に中立の立場に立てる人なんていないと思うんです。私たちは必ず、自分でも気づかない部分になにかしらのバイアスを持っていますから。
ということは、メディエーターは「私は必ず平等になれる」と自信を持つのではなく、謙虚に、自分にもバイアスはあるから、その限界を踏まえてメディエーションを行うという姿勢を取っていくしかないと考えています。
また、有色人種のメディエーターを増やすことや、メディエーターに多文化教育を施すなどの取組も必要です。
横塚先生:そこが、私の研究の一つなんです。ADRは西洋で開発された仕組みで、まずは、当事者双方に話してもらわないと成り立ちません。しかし日本人は、自分の意見を前面に出すことが得意ではない方が多いですよね。それでも私は、ADRにはポテンシャルがあると考えていて、このシステムを、違った文化的背景や伝統を持つコミュニティにどう取り入れて行けばいいかということを研究しています。
日本にも、今後移民がどんどん入ってくると考えられます。異文化の人たちがたくさんやってくれば、摩擦や対立が起こる可能性もある。そうすると、ADRのような仕組みの需要が増えてくるのではないでしょうか。
横塚先生:大学院からアメリカに留学したのですが、それ以前からマイノリティを支援するボランティアをしていました。所属するカソリックの教会が難民支援に積極的だったんです。日本ではなかなか見えづらい少数派の人たちと接する機会が多い中で、移民研究をしてみたいと思うようになりました。
でも、日本では移民に対する研究があまりされておらず、アメリカの大学院に進学。アメリカに行くと、例えば隣人がユーゴスラビアの内戦から命からがら逃れてきた人だったり、クラスメートには、ルワンダのジェノサイドで家族全員を殺された経験を持つ人がいたり。そういう人たちが身近にいることで、世界で何が起きているのかが分かる。いろんな視点があって、学ぶ場所として本当に興味深いと感じました。
Washington DCでの宗教間対話の学会(IRF Summit)に参加した時の写真 |
United Nationsで多文化間対話の学会に参加した時の写真 |
横塚先生:大学院での私のアドバイザーは、クリスチャンとムスリムの対立が激しいナイジェリアで、メディエーターとして2つのコミュニティの間に立った経験をした人でした。両者は会ったこともないまま憎み合っている。メディアなどを通して知ることだけで、相手を悪魔のように考えていました。そんな両者を同じ場所に連れて行き少しずつ話し合いをさせると、お互いの人間的な面が見えて、お互い家族を失って苦しんでいるんだという共感が生まれると話してくれました。
日本にだって、在日韓国人の問題もあれば、保守派とリベラル派の対立だってあります。こういったメディエーションのような21世紀に役立つスキルを学生たちが学んでくれたら、皆が共存できる社会をつくっていけるのではないかと思っています。
横塚先生:なぜ紛争は起こるのか。そこには、関わる人の数だけ解釈とストーリーがあります。答えは1つだなんて思ってしまうと、この複雑な現象を理解することはできません。社会には様々なシステムがありますが、それらが公平か、という問いに対してだって、何百通りもの考え方があります。
どんな制度にも欠陥があって限界があって、良い点も悪い点もある。何をもって公平とするのかは、考え続けないと分かりません。考えることを放棄してしまうと、権力を持っている人がいくらでもこの社会を操作できてしまいます。
教育者としては、学生たちに「疑問を持つことを大事にしてほしい」と教え続けたいと思います。社会が間違った方向に行きそうなときに、「おかしいのではないか」と自分で考えられる人になってほしいですね。