熊本地震で大きな被害を受けた益城町。
被災から約半年後にオープンした熊本大学の「ましきラボ」は、開設から10年、益城町住民の「声」に耳を傾けながら地域の創造的復興のお手伝いを続けています。
オープン当初からましきラボの運営に携わる、
大学院先端科学研究部の田中尚人准教授にお話を伺いました。
オープン以来、益城町の住民と行政をつなぐサテライトとなっているのがましきラボ。定期的に続けてきた活動の一つが、土曜日午後のオープンラボです。当初は教員2人と学生4人が、ラボを訪れてくる住民の皆さんの、地震の話、復興の話、町に対する思いや希望に耳を傾けていました。まちづくりを行政任せにせず、住民の皆さんも一緒にやる、そのあと押しをするのが私たちの仕事。「やってほしい」という思いだけでは創造的復興は進まないので、自分たちもやっていただく。そのやり方がわからないとおっしゃるときに、私たちがお手伝いしてきました。
オープンラボ以外にも、ましきラボではシンポジウムやワークショップが開催されてきました。熊本地震の翌年には「益城町熊本地震記憶の継承」事業がスタート。町民一人ひとりが語り部となり熊本地震を語り継ぐ取り組みで、その一環として「みんなでツナグ、益城の記憶」があり、最初は発表会のような形でしたが、先日の10回目では、4車線化した県道高森線を住民の皆さんとウォーキング。どんな形であれ「語り継ぐ」ことを目的に活動を続けています。
ましきラボには熊本大学工学部土木建築学科の熊大生も参加しています。土木分野は人と話すことも大切。学生たちにとってましきラボは、どんな状況にある方ともきちんと対話ができる、そのトレーニングの場にもなっています。現在は、熊本地震を経験していない熊大生も増えました。しかし、そんな彼らが住民の皆さんの体験を対話で紡ぎ、語り継いでいくことがこれからの大切なテーマのひとつです。
しかし、話を聞いてそれを伝えるだけならAIでもできます。そうではなくて、聞いた話をきちんと自分で考えて、その話はなぜその人にとって大事なのか、自分やほかの人にとってはその話のどこが大事なのか、それらを考えたうえで伝えていく。そうすることで誰かの記憶を自分ごとにして、たんなる「教訓」ではなく「生きた教訓」にすることができると思います。そのために大切なのが、人との対話、そして自分との対話であり、住民にとっても熊大生にとっても、その対話を重ねられる空間がましきラボです。土木建築学科で学び社会に出る学生たちには、自分が携わる仕事は安全安心につながる仕事であることや、まちづくりにおいて日常と非日常をつなげることを意識できる技術者になってほしい。だからこそ、学生のうちに住民の方々の話を聞ける機会を大事にしてほしいですね。
最近「災間」という言葉が使われています。私たちは日常と日常の間に災害があると思っていますが、そうではなく、災害と災害の間に日常があるという意味だそうです。これだけ災害が頻発すると、一般の人たちも、日常は次の非日常までの猶予期間と考えないといけない時代になったのかなと思います。ただ、日常にいつも非日常を考えておくのは結構な体力を必要とすることだと感じています。
これまではあり得なかった、そしてあってはならない自然災害が起こり始めているのが、今私たちがいる世界であり、そこに対応するのが私たち大学の役割。目的を決めてそれを遂行するだけなら、AIがやればいいと思います。でも、現場で皆さんの思いを聞いて、予測したことと違うことに意味を見出すことができるのが私たち人間であり、そんなトライ&エラーから自分たちらしく学ぶことができるのが大学です。困難にも食らいつき、みんなであきらめずに進み続けたいと思っています。
田中准教授の研究室で学びながら、ましきラボの活動に参加している
大学院生の中村勇仁さんにも話を伺いました。
ましきラボでは、SNSでのオープンラボ開催の告知、住民の皆さんとの対話、記録、ラボのFacebookへの投稿などを学生が担っています。住民の方からの話を聞いていると、日常がどれほど奇跡であるかを感じます。私は北九州市出身で被災経験はないのですが、住民の方々との対話を繰り返すうち、どこか他人事だった自然災害を自分事として捉えられるようになりました。将来は建設コンサルタント企業で ODAに関わる仕事をすることが決まっているのですが、防災や減災意識があまりない国や地域で自分に何が伝えられるのか。それを今、ましきラボで学ばせてもらっていると思っています。


大学院生時代からましきラボに携わり、現在は、益城町に「復興まちづくりパートナー」として雇用され、
益城町の復興に関わる様々な業務を担っているのが吉海雄大さんです。
2011年に東日本大震災が起こったとき、私は高専の学生でした。何もできない自分にもどかしさを感じたことを今も覚えています。熊本地震では自分が被災し、その直後から益城町の現場に関わらせてもらいました。大学院の博士後期課程での研究は、ましきラボと益城町の復興がテーマ。その後もいろんな縁をいただいて一生懸命活動していたら、いつのまにか益城町の一員になっていました。すでに、自分の人生の3分の1の期間を益城町と過ごし、益城町の皆さんに育ててもらったようなものだと思っています。
災害の被災地ではいろんな専門家が支援をしますが、一つの専門性だと、関わることができる期間が限定的。でも私はましきラボという組織に所属したことで、切れ目なく様々なプロジェクトに関わることができ、町や住民の皆さんと協働することで一つの計画やプロジェクトに一貫して携わることができた。それに手ごたえと、長く関わる意味や継続する意義を感じられて、今まで続けてこれたんだと思います。
益城町では今、人口が熊本地震後V字回復し、地震前とほぼ同じ状況に戻りました。町全体で取り組んできた復興のノウハウは、ほかの被災地の希望になるのではないかと思っています。益城町でいい仕事ができたのなら、それを記録し伝えていくべき。この先、益城町をより盛り上げつつ、そんな復興のノウハウを社会に還元していくことができればいいなと考えています。
学生時代の恩師の、大都市よりも地方都市で起こっていることのほうが、実は最先端なんだという言葉が印象に残っています。熊本地震を経験し、そこから10年でまた大きく変わろうとしている熊本にも先進事例が詰まっています。その現場に触れる機会が多いということは、チャレンジする機会も多いということ。新しいことに飛び込める可能性がたくさんあるのが地方の魅力だと私は思っています。
熊本地震発災時は博士前期課程の大学院生で、ましきラボ開設時から活動に参加。その後、大学の研究員や高専の教員など立場は変わりながらもましきラボに関わり続け、2022年4月から益城町の地域おこし協力隊に。2025年度から名称が復興まちづくりパートナーに変わり、引き続き職員として活動中です。
