2,000ページの古文書が語る
“幕末を生きた人たち”のリアル
永青文庫研究センター
今村 直樹 准教授
- 所属
インタビュー担当の健児くんです。
江戸時代の古文書を読み解きながら、江戸時代から明治時代にかけての政治や社会の変化を研究しているのが、熊本大学永青文庫研究センターの今村直樹准教授です。近年、新選組に入隊した熊本の若者の話や、西南戦争に揺れた水前寺地域の様子など、教科書には載っていない人々のリアルな姿を発見されました。現代につながる人々の生の営みを解き明かす研究について伺いました!

![]() 今村 直樹 准教授 |
永青文庫には、細川家に伝わった古文書が約5万7千点あります。そのほかの熊本大学が保管する資料群も合わせると十数万点。細川家文書のうち9,612点は国の重要文化財に指定されています。これだけ多くの貴重な歴史資料を保管している大学は、全国でも非常に稀なんですよ。
古文書研究というと、ひたすら昔の文字を読むというイメージが強いかもしれません。でも実際には、「どんな史料があるのか」を把握する作業がとても大切です。史料がなければ研究そのものが成り立ちません。そこで、まずは史料に書かれている大まかな内容をリスト化した「目録」を作るという地道な作業から始めます。その後、目録から研究テーマ(例えば、「新選組」など)に関わる史料をピックアップし、仮説を立てて深く読み込んでいくのです。史料という「宝の山」の中から、今までの歴史の常識を揺さぶるような事実を見つけ出す作業は、とても刺激的で面白いですよ。
私自身が研究しているのは、江戸時代の半ばから明治維新にかけての時代です。今の日本社会の仕組みは、この時代に大きく形づくられました。12世紀から700年以上も続いた武士による統治や、江戸時代の身分制度。それが明治維新でガラッとなくなる。でも、どうしてそんなことが起きたのか。江戸時代の半ば以降の行政の仕組みや庶民の動きに注目しながら、日本の社会の「起点」を探りたいと思っています。
「口書」は、今でいう刑事裁判の供述調書です。18世紀から幕末まで134冊も残っていて、厚さが2,000ページを超えるものもあります。ほとんどが事件当時に作成された供述記録なので、庶民の暮らしぶりや感情などが生々しく記されています。これほどの記録が残っているのは全国的にも非常に珍しいんです。廃藩置県の混乱期に、当時の細川家の家臣たちが「こうした記録がなくなれば、のちの日本史編纂の損失になる」と必死に守り抜いてくれたおかげなんです。
以前からこの史料の存在はわかっていたんですが、かなりの分量なのでまとまった研究がされていなかったんです。今回、科研費(国が研究者に支給する学術研究のための補助金)を得て、ようやく本格的に取り組めることになり、どんなことが書かれているのかを読み解くことができるようになりました。
![]() 2,000ページと圧倒的存在感を持つ細川家文書「口書」 |
今回は、幕末の熊本藩で「欠落(かけおち)」、つまり無届での逃亡・失踪・移住した人々の実像を分析しました。現代でいう「失踪者」のようなものですが、彼らは非常にたくましく生きていたことが分かりました。面白いのは、史料に“彼らの肉声”が記されていることなんです。「出張先で借金をして帰れなくなった」「親に顔向けできない」「京都でできた恋人に引き止められた」。さまざまな理由で失踪した人たちの話が、そのまま出てくるんですよ。
![]() 新選組に入隊した熊本藩の欠落者の記録。左下に「新選組」の文字がある |
書道の修行のために欠落し、江戸で書道を学んだのち、房総半島で数年間、寺子屋の師匠として生計を立て、晩年に故郷が恋しくなって戻ってきた人の記録もあったりして。その人生がちゃんとここに残っているわけですよ。あと、大名行列に紛れ込んで東海道を移動していた人とか、移住先で立派な職人となっていた人とか。そういう「失踪者」を受け入れる余地が、江戸時代の社会にもあったのだということが伝わってきます。
はい、あれはちょっと驚きましたね。江戸で遊郭のトラブルを起こして国許に送り返されることになった郷士(熊本藩の下級武士)が、護送中の大坂で逃げ出す。生活費がなくなって、とりあえず食べるために新選組に入ったと、記録に残っているんです。
しかもこの人物、福澤諭吉の英学塾(英語や西洋学問を学ぶ私塾)に通っていた熊本出身者の第一号だということが、塾の名簿から確認できるんです。「新選組には愛国心を持つ武士たちが集まっていた」というイメージがありますよね。でも、もしかしたらそうじゃない人もたくさん混じっていた可能性がある。歴史って、決まったストーリーじゃないんだとつくづく感じます。
現代に通じる話もあるんですよ。例えば、幕末に玉名の百姓の若者が「江戸で水戸徳川家が挙兵する計画があるから、来ないか。うまくいけば武士に取り立ててもらえる」と知人に誘われて出奔する話。ところが実際は、商家を狙う強盗集団の仲間集めだったというオチで。これ、今でいう「闇バイト」の構造とまったく同じですよね。時代が変わっても、人間ってあまり変わらないのかもしれません。
2027年が西南戦争150周年という節目にあたるので、学内外の研究者と一緒に取り組んでいます。最終的には熊本博物館での展覧会につなげていく予定です。その準備をしていて、水前寺地域にある細川家の「砂取絞蝋所(すなとりこうろうしょ)」という製蝋工場の日記が発見されたんです。
これを読み解いたところ、水前寺が何度も戦場になっていたことが分かりました。今の穏やかな街並みからは想像しにくいですが、当時の人たちは砲撃に怯えながら避難していたんですね。さらに、西南戦争で焼失したことが知られている、水前寺成趣園にあった御茶屋「酔月亭(すいげつてい)」(現在は跡地に「古今伝授の間」がある)について、実は政府軍が自ら放火したということも記録されていました。
これらの記録は後世にまとめられた歴史物語とは違い、ほぼ現場で作成された「リアルタイムの記録」です。そこには、都合の悪いことも赤裸々に記されています。「公開されることを想定していない記録だからこそ、真実が残っていた」という感じで、史料の面白さが凝縮されているような発見でした。
![]() 酔月亭の放火について記載された明治10年4月8日の日記 |
古文書を読んでいると、“教科書で習った歴史”が崩れる瞬間があるんです。もちろん、過去の出来事自体は変わりません。でも、新しい史料が見つかったり、別の視点から読み直したりすることで、歴史の見え方は大きく変わるんです。
日々、「え、これって違うんじゃないか」という発見がある。歴史の通説や常識が揺さぶられる感覚。古文書をめくるたびに、「ひょっとしたらこれ、全然違う話なんじゃないか」「まったく知られていない事実ではないか」という問いや気づきが生まれてくる。その面白さは、本当に尽きないですね。
過去を知ることは、現代を理解するための大きなヒントになるとも思っています。例えば、西南戦争の際、政府軍は戦略上の観点から、熊本の城下町へ一斉に火を放ち、焦土作戦をとりました。これは、熊本城を守る政府軍の立場からすれば、合理的だったかもしれませんが、城下町の住民からすれば、突如追い立てられ、家財を失うことになったわけで、不条理極まりないものでした。どちらの立場にたつかで、物事の見え方はがらっと変わるのですが、とくに後者の立場は、歴史のなかで忘れ去られてきました。歴史における普通の人々の視点を大事にすることで、現代の課題を考えるための豊かな想像力が養われるはずです。
![]() |
熊本大学には永青文庫をはじめとする世界的な学術資源があり、それを活かせる素晴らしい環境があります。歴史に限らず、学生時代には何か一つ「本気でハマれるもの」を見つけてほしいです。一つのことにのめり込む中で、自分でも気づかなかった能力や新しい問いが生まれてきます。熊本大学には、いろんな分野の研究者が集まっています。学問的に新しいものを創造する面白さを、ぜひ一緒に体感しましょう。