熊本は、藩校「再春館」に始まる医学の古い歴史を有する。北里柴三郎など日本近代医学の礎を築いた研究者たちの出身地として知られ、現在は熊本大学による先端医学の研究が注目される。関係者らの地域医療への思いは熱い。独自の医療情報網「くまもとメディカルネットワーク」を普及させて診療や治療に役立てるなど、確かな歩みで県民の安心と安全を支えてきた。そんな熊本にも、医療機関の人手不足や経営難といった日本を取り巻く医療の課題が立ちはだかる。一方で、治療法の進歩やAIをはじめとする先端技術の導入など明るい話題も多い。2026年新春に当たり、熊本大学の小川久雄学長と熊本大学病院の平井俊範病院長、そして熊本県医師会の福田稠会長による鼎談の機会を設け、医療の現状や展望について聞いた。併せて、小川学長には、新しい学環の創設で話題を呼ぶ熊本大学の取り組みについても話を聞いた。
小川 熊本大学では半導体関連の大きな動きがあり、文部科学省による「J-PEAKS」※1の採択支援先に決まりました。熊本県では、台湾の半導体メーカーTSMCの進出以来、半導体産業の集積地化が進んでいます。本学はこれを軸に、いわゆる地域イノベーションの実現と持続可能な産業都市構築を目指しています。「J-PEAKS」の採択支援先となり、取り組みをさらに推進させます。また昨秋、本学に半導体関連の共同研究拠点「SOIL」と半導体の教育施設「D-Square」が完成しました。本学が発展していく上で核となる施設だと考えています。
平井 2025年を振り返ると、物価高や人件費増などを背景に病院の経営が圧迫され、その対応に追われた1年でした。例えば、病床稼働率を上げるため職員の皆さんに意識改革していただこうと、ICTを使って稼働率の‟見える化”を行いました。また、認知症への対応にも力を入れました。大学病院の「認知症疾患医療センター」を、高度で幅広い対応ができる「基幹型」として再設置し、地域の拠点病院と連携を取りながらより良い診療や治療ができるよう体制を整えました。
福田 やはり医療機関の経営が非常に厳しい年でした。例えば、連合が発表した2025年春闘の平均賃上げ率は5・25パーセントです。一方で、2024年度に改定された診療報酬は、医療職の人件費などに充てる本体部分の引き上げが0・88パーセントで、とても追いつかない。そうしたなか6月に、いわゆる「骨太の方針2025」が閣議決定されました。しばらく抑制の流れが続いていましたが、ようやくプラスの方向に転じたと言えます。確実に遂行されることを期待します。
小川 もう1つ、言わせてください。昨年、福田先生が日本医師会の副会長に就任されました。熊本の医療関係者にとって、大変喜ばしいニュースでした。

小川久雄 学長
福田 熊本は医学に早くから力を注いできた地です。宝暦6年1756年に、藩主の細川重賢公が医学の藩校「再春館」をつくりました。さらに1871年、細川護久公が、オランダ人医師のマンスフェルトを招いて「古城医学校」を開きました。そうした古い歴史や伝統が熊本大学医学部に脈々と引き継がれていると考えます。
小川 本学医学部には優秀な若手の医師がそろっています。「発生医学研究所」※2や「国際先端医学研究機構」※3の研究は高い評価を受けていますし、JST※4の「創発的研究支援事業」※5で2024年度における採択数は全国9位でした。
福田 地理的な話をすると、熊本は県のほぼ中心に熊本市があって、大学病院があって、医療センターなどの基幹病院があります。極端な離島はありませんし、熊本都市圏とすべての県内主要都市間を90分以内で結ぶ「90分構想」というプロジェクトが熊本県によって進行している。つまりアクセスに恵まれています。それから、1県1大学という特徴もあります。医学部があるのは熊本大学のみで、大学病院も1つしかない。船頭が複数いないから足並みがそろいやすい。そういう意味では、地理的にも体制的にも医療計画を立てやすいのが熊本県です。
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| ラフカディオ・ハーンのレリーフと五高記念館 | 熊本大学(医学系)の歴史 |
平井 災害拠点病院は災害時に重傷の傷病者を受け入れるとともに、災害派遣医療チーム「DMAT」※6が派遣され、広域搬送の拠点となる病院です。平時から災害時に備え、いざというとき地域の医療活動を支える使命があります。今回の指定を受けて、光栄であると同時に責任の重さを感じています。また昨年8月、熊本大学病院は、熊本県および清水建設と災害医療に関する包括連携協定を締結しました。2020年7月の豪雨で特に被害の大きかった人吉球磨地域では、多くの医療機関が被災して、ライフラインが途絶し、医療活動に大きな混乱が生じました。包括連携協定は、この経験を踏まえたもので、医療と工学を融合した全国初の災害医療に関する「多機関連携型タイムライン」※7を策定し、県内への普及を目指します。災害に強い医療体制づくりを推進できると考えています。
平井 災害時に対応できる人材育成が重要です。2018年、当院に「災害医療教育研究センター」が設置され、その名の通り災害医療に関する教育と研究の拠点として機能しています。また同年、当院が文部科学省の「課題解決型高度医療人材養成プログラム」に採択されました。プログラムを通して災害時に対応する医療職と統率する行政職を育成しています。さらに2023年には、こうした人材育成の経験を基に「熊本大学履修証明プログラム多職種連携災害支援コース」を開設しました。熊本地震や豪雨災害などの経験を活かしながら、災害医療教育を担って普及できる人材を養成しています。

平井俊範 病院長
平井 熊本県は医師多数県です。ところが35歳未満の若手医師の割合は全国最下位なんです。多くの方にとって意外なデータかもしれませんが、現実はそうです。若い医師が不足しています。
福田 医師不足の問題で、鍵となるのは優秀な若い医師たちが熊本に残ってくれるかどうかです。出て行く人材が多いから、医師不足が解消されない。熊本大学の医局に残り、例えば各地に赴任して、貢献してくれる若い医師たちの力が必要です。
小川 2004年に始まった「新医師臨床研修制度」が研修医流出の大きな原因だと考えています。もちろん以前の臨床研修制度にも課題はあったのでしょうが、旧制度の下、研修医がひとまず大学の医局に残ることで、特に地方では大きな力となっていました。これは熊本県に限った話ではありませんが、新しい制度となって、大学を卒業するとそのまま首都圏などへ行ってしまう人が多い。地方の医師不足を解消するために現在の臨床研修制度を見直す時期にきているのではないでしょうか。
平井 昨年、熊本県の医師育成を目的とした「熊本臨床研修アライアンス」という組織を熊本大学病院、地域の中核病院、そして熊本県との合同で設立しました。定期的なミーティングを通して、初期研修の質の向上、医学生への広報活動の強化、問題点の抽出などの対応を図ります。学生や若手医師への教育内容を強化し、県内の医療機関で働く研修医や専攻医を増やしていきたいと考えています。また当院では、近年目ざましい発展を続ける低侵襲医療の臨床教育研究拠点「低侵襲医療トレーニングセンター」を設置しました。最新の機器を使って、若手外科医や研修医がロボット支援手術のシミュレーションなどをトレー二ングできる環境が整っています。
平井 はい。こうした取り組みを今後も継続していきます。また、当院は昨年9月にハンガリー国立大学医学部の臨床実習施設として認証を受けました。ハンガリーで医学を学ぶ日本人学生に当院で臨床実習を行っていただくことができるようにするもので、最速今年の夏頃には受け入れられるように準備を進めているところです。こうした取り組みを本県内の研修医及び専攻医数の増加につなげられたらと考えています。
福田 日本よりも外国の方が医学部に入学しやすいケースもあるでしょうからね。日本人研修医の逆輸入といったところでしょうか。
平井 医学部医学科の2027年度入試から「熊本医療枠」を新設します。卒業後5年間は熊本を拠点に働くことを前提とした入試枠です。すでに熊本大学には、卒業後に医師不足の地域で一定期間働くことを条件とした「地域枠」の募集がありますが、「熊本医療枠」との両輪で、熊本の明日の医療を担う若手医師を増やしていけたらと考えています。

福田稠 県医師会長
平井 熊本は医師多数県ではありますが、そのうち6割が熊本市に集中していて医師の偏在が顕著です。こうした問題を解消しようと、2013年に「熊本県地域医療支援機構」が設置されました。熊本県と熊本大学の協力で運営され、私が理事長を務めています。地域医療には、担い手となる優れた医療人の育成が必要不可欠です。本機構では、地域医療に従事する医師のキャリア形成支援、地域医療を志す学生の卒前教育の充実、そして、それを支える地域医療実践教育拠点の整備などに取り組んでいます。機構の中には、総合診療医を増やすための「地域医療・総合診療実践学寄附講座」も設置しています。また、熊本県からの補助を受けて「地域医療連携ネットワーク構築支援事業」を実施し、医師派遣による診療支援や、医師派遣を通じて拠点病院の医療機能向上や地域内の医療機関間の連携強化に取り組んでいます。
平井 熊本大学病院では看護職のキャリア支援事業として、地域の拠点病院との相互研修を行っています。拠点病院の看護師さんに当院で研修を受けていただき、同様に当院の看護師は地域の拠点病院へ出向して研修を受ける。こうした人事交流を行いながら領域の枠を超えた看護力の底上げと連携強化を図っています。当院でも、地域の拠点病院でも、双方で評判の良い取り組みです。
平井 AIの導入は幅広く進んでいます。例えば、私の専門である画像診断で、胸部のレントゲン写真などから病変を自動的に検出したりできます。CTによる肺結節の同定やMR血管撮影による脳動脈瘤の検出にもAIを役立てています。また、消化器内科では内視鏡AIを導入していて、検査時に病変があれば画面上の色で警告されるので、万一の見逃しを防げます。
平井 AIの活用は医療の現場にとどまりません。昨年1月には生成AIを活用した研究について、その応用に対する指針を熊本大学医学部と熊本大学病院から発出しました。生成AIを研究の補助に活用することで論文が書きやすくなり、研究力アップにつながっています。医療事務にもAIを導入しています。例えば、病院のレセプトです。病名などの記入漏れがあると、AIが検出して、候補となる病名を挙げてくれます。また、大学病院では多くの会議が開かれますが、議事録の作成にもAIを役立てています。本来かなりの労力を要しますので、本当に助かっています。また、AIと併せてICTの活用も進んでいます。例えば、一部の診療科では手術時などの同意書はタブレットを用いて電子サインで取っています。サインをいただいた瞬間に電子カルテにデータが届くので、紙を消費せず、手間もかかりません。業務の効率化に役立っています。
福田 正式には「熊本県地域医療等情報ネットワーク」と言って、ICTを活用して、登録者の処方歴や検査歴、薬の禁忌、アレルギー情報などを各所で確認できるネットワークです。熊本県と熊本大学と熊本県医師会の3者で連携して運営しています。ずいぶん皆様に浸透し、普及していて、登録者へのカード発行枚数が17万を超えました。これが大いに役立っています。2020年の豪雨では、球磨川の氾濫で多くのカルテがダメになりましたが、ネットワーク上のデータを頼りに処方ができたりしました。また熊本県では、過疎地をはじめとする地域医療のDX化も進んでいます。例えば、保健師さんがDXの機材を積んだ専用車で対象となる人を戸別に訪問して回る。何かあれば、オンラインで医療機関から適切な指示が受けられます。地方こそ、こうしたデジタル技術の恩恵は大きい。今後、さらなる活用が進むと考えています。
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小川 熊本大学では、医学医療関係の産学連携が盛んです。製薬会社や医療機器メーカーをはじめ多くの企業との取り組みが進行しています。現代において、医療に関する産学連携は必須と考えています。最先端のデータや技術を活かして医療を前進させる力になります。
平井 熊本大学病院では、いろいろな診療科で多様な産学連携を行っています。例えば画像診断では、キヤノンメディカルシステムズとの連携で共同研究講座をつくっています。AIを使ってCTやMRI画像の画質を向上させたり、解析したりする技術があり、その臨床応用を進めています。また、オランダの企業・フィリップスとの連携により、寄附講座をつくっていただいています。デュアルエナジーCTと言って、2つのエネルギーを使って、CTでさまざまな機能的な画像を作る技術があります。寄附講座では、その臨床応用をしています。
小川 昨年、本学と菊陽町、そしてTSMC慈善財団で、医療分野での連携協力に関する協定を結びました。協定を基に取り組むテーマが、認知症の予防と健康寿命の延伸です。一定期間、町民を対象に運動や栄養と食事の指導、認知トレーニングなどを行うことで、認知症患者の減少を目指します。
小川 半導体関連をはじめ、産学連携の取り組みは他学部でも活発です。また産学連携とともに、本学では他大学との連携を大切にしています。1つの大学だけで完結するのでは、発展に限りがあります。熊本大学には東京大学や東北大学の分室があり、本学との共同研究も行っています。半導体に強いことで知られる台湾の4大学との共同研究も進めています。日本の研究開発で足りないのはオープンイノベーションです。外部のノウハウやアイデアを互いに取り入れることで、新たな展開が広がっていきます。先ほどお話しした新設のオープンラボラトリー「SOIL」を、まさにこうした連携に役立てていきたい。産学連携すなわちオープンイノベーションの取り組みにますます力を入れていきます。
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| 熊本大学病院 |
小川 「情報融合学環」は熊本大学に初めてできた学部相当の学環です。学部が特定の学問を深掘りして学ぶとすれば、学環は複数の学問を横断的に学びます。「情報融合学環」には、文理融合型のカリキュラムでデータサイエンスを総合的に学ぶ「データサイエンス総合コース」と、半導体の知識を専門的かつ実践的に学ぶ「データサイエンス半導体コース」があります。工学部に設置した「半導体デバイス工学課程」は国内の大学で初となる半導体の技術者や研究者の育成に特化した学科相当の課程です。半導体にはあらゆる工学の知識が要ると言われます。ここでは化学や機械、設計などの枠を超えて専門の知識を学べます。同学環も同課程も学生たちの意欲的な活動が目を引き、創設2年ながら確かな手応えを感じさせます。
小川 「共創学環」と言います。地域社会から国際社会までさまざまな課題解決に貢献できる人材を育成します。特に経営などのマネージメントの教育・研究に力を入れた文理融合の学環です。すでに入試の一部が始まっていて、高い競争倍率となっています。熊本大学は、地域と世界に開かれ、共創を通じて社会に貢献する教育研究拠点大学を目指していて、そのためにスピード感を持って改革を進めています。新しい2つの学環や工学課程の創設は、こうした熊本大学の変化の象徴とも言えます。
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| 情報融合学環 |
小川 本年の熊本大学最大のトピックは、やはり「共創学環」の創設です。私自身、大きな期待を寄せています。それから附属小における「国際クラス」の開設も話題を呼んでいます。全国の国立大学附属の小中学校で初めて日本の学習指導要領に沿って英語で学ぶ「国際クラス」が、熊本大学附属小学校に誕生します。校舎が3月1日に完成する予定で、帰国児童を含む日本人児童と外国人児童を受け入れます。
平井 新年度から救急医療の人材育成強化として、医学部に「救命救急・災害医学講座」を設置します。救急医療の医学博士を養成できる体制をつくり、病院の救急医療体制の充実を図ります。また、本年から前立腺がんのPSMA治療を行います。前立腺がん細胞の表面には、前立腺特異的膜抗原、いわゆるPSMAと呼ばれる抗原が多く見られ、これを標的に放射線で攻撃するという治療法です。すでに欧米で盛んに行われていて、高い効果が認められています。昨年、日本でも承認され、当院でも体制整備を進めています。2月には治療を開始できると考えています。それから、すい臓がんの診療と治療に力を注ぎます。いま、すい臓がんの患者さんが増えています。すい臓がんは早期発見が難しく、予後が悪い病気として知られます。消化器外科、消化器内科、画像診断・治療科、放射線治療科、病理部、がんセンターなどが連携して、すい臓がんの早期発見から治療までを総合的に行う組織をつくります。すいがんドックも行う予定です。
福田 医師会自体の話題ではありませんが、2026年度の診療報酬の改定に大変注目しています。物価に合わせてスライドするような診療報酬体系にならないと、官民とも医療機関は立ち行かなくなる。安心して医療ができなくなり、ひいては安心して医療が受けられなくなります。診療報酬改定の行方をしっかり見守りたいと思います。
小川 昨年完成した「SOIL」と「D-Square」を本格的に機能させていきます。特に「SOIL」は多くの企業に入居していただき、オープンイノベーションセンターとして真価を発揮させたい。それを力にして、本学の研究を発展させたいですね。半導体の進歩と医療へのさらなる応用を夢見て、新年の希望といたします。
平井 熊本大学病院は熊本県で唯一の特定機能病院であり、地域医療の最後のとりでとしての役割を担っています。常に国内最高水準の医療を提供できるよう、ロボット支援手術、低侵襲医療、高難度手術、集学的がん治療※8をはじめ幅広く先端医療環境の整備に努めます。さらに今後期待される免疫療法やゲノム医療※9の推進にも積極的に取り組み、すべての患者さんにとって最良の医療を提供できる大学病院でありたいと考えています。
福田 1つは組織強化です。現在、日本医師会には17万人あまりの会員がいますが、国内にはその倍くらいの医師がいます。まずは地元熊本県から、若い医師の皆さんが医師会に入っていただけるよう努力していきたいと思います。それと抱負の話ではありませんが、いま、政府は出産費用の原則無償化に向けて動いています。これがどのような制度になるのか。多くの医療機関が経営難に直面するいま、下手な制度になると、産科医療の崩壊につながりかねません。妊婦さんたちにも良く、同時に医療提供体制の充実にも資するような、そういう制度になることを願って、新年の希望といたします。

小川久雄 学長