音楽は、物語の中でどう使われてきた?
古い時代のイギリス演劇から、音楽の役割をひも解く
文学部文学科 多言語文化学コース
冨村憲貴 准教授
インタビュー担当の健児くんです。
今回訪ねたのは文学部。冨村憲貴准教授はここで、イギリス中世から近世初頭までの演劇の中で使われている「音楽」と「身体部位表現」について研究しています。その中で今回は、主に「音楽」について伺いました。映画やドラマも含め、今や、物語のあるところに音楽はつきもの。しかし実は、その役割は時代によって大きく違うのだそうです。
演劇の中で音楽がどのように使われているかが私の研究テーマの一つです。今はイギリス中世から、シェイクスピアが活動する1600年前後、エリザベス朝・ジェイムズ朝くらいまでの演劇を中心に研究しています。
現代では、演劇、映画、ドラマ、アニメ、ゲームなど、色々な形で物語が表現されています。そういったジャンルの作品では、音楽が使われることがほぼ当たり前になっています。例えば緊迫する場面なら緊迫感がある曲、悲しい場面なら悲しい曲、勇ましい場面なら勇ましい曲が使われることが普通です。しかもそれらの曲は、登場人物には聞こえないBGMとして流れます。映画音楽にもそういった名曲が多いですよね。では、そんな使われ方はいつごろ始まったのでしょう。また、どんな音楽が求められてきたのでしょう。その答えを得るために、演劇の歴史をさかのぼって研究しています。
イギリス演劇を対象にしたのは、その影響が今日の文化にも強く残っているからです。今も世界各地で上演され、映画化もされ続ける作品を書いたシェイクスピアをはじめ、すばらしい劇作家たちが生まれた土壌で、音楽はどのように演劇と結びついていたのか。そしてどう変化していったのか。演劇の中で、劇作家が音楽に求めたものの一端が分かるのではないかと研究しています。
基本的には、残されたテクスト(文字)から情報を得ます。シェイクスピアの時代の戯曲には、どのタイミングでどんな音楽を演奏するか、あるいは登場人物が歌う場面と歌詞などの情報が残っています。さらに前の中世、チューダー朝の演劇にも、「ここでラッパを吹く」などの指示がありますし、宗教劇では聖歌の一節が歌われたと考えられる場面や、逆にすごく下品な歌を歌うような指示があったり。そういったものが手がかりになります。
それらを読み解き、その音楽がどんな文脈で、どんな場面で使われているのかを見ていくと、音楽に期待されていた役割が分かってきます。こういった情報を集めて分類し、時代・作家ごとの特徴を分析しています。
(シェイクスピア作品の音楽使用データ) |
ヨーロッパでは、紀元前の古代ギリシャ演劇から、音楽は不可欠の要素でした。コロスという合唱隊が、セリフの一部を歌っていたのです。それ以後、中世にかけては資料的な断絶のためわからないことも多いのですが、イギリスでは10世紀頃のキリスト教の典礼に、演劇的な要素が含まれていたことが分かっています。
中世には教会の外でも宗教劇や世俗劇が演じられていましたが、古代ギリシャ演劇のように、セリフを歌で表現することはあまりされていません。しゃべるセリフと音楽の区別はかなりはっきりしています。一方で、観客が劇の出演者達と一緒に歌うようにうながされることがあり、音楽が出演者と観客を一体にさせる手段として使われています。
エリザベス朝に入ると、特にシェイクスピアの作品で、音楽が物語の展開ととても緊密に結びついて使われるようになります。例えば、シェイクスピアの『夏の夜の夢』では、森の中で、妖精パックのいたずらで頭がロバに変えられてしまったボトムという男が歌を歌うと、眠っていた妖精の女王が目を覚まし、惚れ薬の効果で彼に一目惚れしてしまいます。この他にも、音楽がプロット展開のきっかけになる場面が見られます。
(作編曲も行う冨村准教授) |
そうですね。ただ、現代の映画やアニメでよく見られる、感情や雰囲気の増幅のために、物語と並行して音楽を流すという手法は、普遍的なものではありません。お話ししたように、私が研究しているイギリス中世やエリザベス朝の演劇でも、そのような使い方は一般的ではないのです。でも、今生きている私たちは、演劇、映画やドラマでは、あるシーンの感情や雰囲気をより強調するために音楽が使われることを普通だと思っていますよね。
大切なのは、それを普通のことだと思わずに、物語に使われる音楽が、ストーリーやキャラクターのセリフ、動きなどに対する私たちの解釈を、ある方向に引き寄せていると自覚しておくことだと思うんです。映画やドラマで、もし音楽が使われていなければ、私たちは想像力によって様々な解釈をするでしょう。しかしそれを一切断ち切って、「こう感じるシーンなんだ」と、私たちの感情を引っ張ってしまう力が音楽にはあるんです。
現代では、フィクションの世界だけでなく、テレビなどで流れるニュースやドキュメンタリーといった現実の物語にまで音楽がつけられ、内容の解釈に影響を与えています。音楽によって作り手側の意図に無意識に乗ってしまっていないか、考える必要があります。特に、集団の意識形成に与える影響には、気をつけるべきでしょう。メディア・リテラシーの観点からも重要なことです。
音楽を始めたのは子どもの頃。アニメソングのメロディーや歌詞を作り替えて歌っていた覚えがあります。たまたま8ビットパソコンを手に入れ、説明書や雑誌を読んでプログラミングをやるようになり、流行っていたゲーム・アニメ音楽の打ち込み(再現)をしたり、オリジナル曲の演奏をさせるようになりました。
振り返れば、学生の頃から、人間の心、文学、そして音楽の3つに興味がありました。でも、これらをうまく結びつける職業が思い当たらなくて。学校でいい先生方に出会ったことから、職業の1つとして英語の先生を考えていたんですが、人間の心についても学んでみたいと思っていました。心をどう捉えるかには色々な立場がありますが、人間が物質であり、考えたり話したりさせているのが脳という物質であるなら、心も物質としての側面を持っていると言えます。実際、精神疾患には物質である薬が効きます。それなら、医学的な見地から人間の心を勉強することが必要だと思って、東京大学医学部健康科学・看護学科(現在は健康総合科学科)に進みました。医学部でも、この学科には私が入学した文科III類から進学できたのです。並行して文学部などで英語教員免許のための授業を取りました。
出身地である熊本に帰り、熊本大学で博士課程を修了した後は、高専で英語教員をしました。人から、医学部という学部も高専という工学系の学校での仕事も、今の分野とだいぶ違うと言われることがあります。子どもの頃からプログラミング少年だったし、私の中ではそれほどかけ離れてはいないんですけどね(笑)。
高専では、研究とともに音声を重視した英語教育にも力を入れました。担当学年のTOEIC点数は在職中に150点ほど上がり、熊大の授業にもその経験を活かしています。また、大学で学んだ精神保健学や統計学が、学生指導と研究にとても役立つことを実感しました。
今の研究テーマを選んだきっかけの1つは、詩人のW・H・オーデンの文章です。自分の興味をどう仕事につなげればいいのか考えていた時、大学でたまたま手に取った本の中に、彼がシェイクスピアと音楽について書いたものがありました。内容には誤りも含まれているのですが、このような研究テーマがありうるのかと思い、文献を探し始めました。
(学生時代の冨村准教授) |
学生のころから、作編曲、舞台音響、吹奏楽の指揮などをやってきました。楽器はいくつか演奏しますが、一番長くやっているのはクラリネットです。そのほか、国立国際美術館等での現代音楽作品の共同パフォーマンスに出演したり、音楽分野の研究者と、即興演奏についての共著論文を発表したりしています。
(大阪市の国立国際美術館でのパフォーマンス「Lifespan」(2018年) |
身体部位表現の研究で使っているデジタル・ヒューマニティーズの手法を、音楽の研究にも活かしていきたいと考えています。
デジタル・ヒューマニティーズはデジタル人文学とも呼ばれます。オックスフォード大学や様々な研究機関が、イギリス演劇の戯曲や関連する資料を電子テクスト化して公開しています。戯曲のテクストであれば、ある単語が誰のセリフか、品詞は何かといった、様々な情報が付与されているのです。このような大量のテクストデータを分析することで、表現の仕方や扱われているトピックの特徴についての手がかりが得られます。音楽の分野でも、楽譜の画像や音声データを対象とした研究が進んでいます。現在の研究の迅速化はもちろん、データサイエンスのアプローチにもつながるでしょう。
また、演劇と音楽の関係というテーマは、文系・理系の様々な学問分野と関連します。観客の受容という観点からは、私たちの脳が言語や音楽といった聴覚情報、そして役者の動作などの視覚情報をどう受け取っているかという問題は切り離せません。また、舞台の音響的条件を考えるなら、工学、建築学とも関係します。様々な領域の知見を融合して、音楽と物語の研究が進んでいけばうれしいですね。